© Rotary International/Alyce Henson
2015年11月23日
8月26日、私は5名のロータリークラブ青年交換留学生、3人の前年度の交換留学生、そして3人の成人ロータリアンとともに、広島平和記念資料館へ研修に行きました。
まず、原爆平和記念資料館では、原子爆弾投下直後のきのこ雲や生存者の様子を表す人形の展示を見学しました。この人形の展示は、身長150cm程度の2人の生存者が、崩壊する建物を背景に立ったものでした。その人形の両手は原子爆弾の炸裂による熱傷により肌が焼け、まるで溶けているようだったこと、更に、熱傷の程度は酷く、焼け落ちた皮膚の下には骨さえ見えていたことが、頭から離れません。核兵器に関する議論は続いている現在でも、人々に核兵器の使用を思いとどまらせるだけに十分な衝撃を与えるものだったように思います。
その後、原子爆弾の被害で亡くなった方々の遺品の展示を見学しました。その中でも、私の頭から離れないのは、三輪車と錆びついたヘルメットです。これは原子爆弾炸裂後まもなく亡くなった3歳の子どもの遺品でした。しかし、当時、彼の父親は、3歳の子どもをたったひとりで埋葬するには早すぎると心を痛め、彼のお気に入りだった三輪車と原子爆弾炸裂時に被っていたヘルメットを自宅の庭裏に埋めたのでした。そして、40年後、彼の父親は、子どもを再度、お墓に埋葬しなおしたそうです。小さな我が子を亡くした父の悲しみを想い、原始爆弾の投下から70年もの歳月が過ぎた現在で、人間が作り出した悲劇は決して消えないのだと思い、言葉を失いました。
そして、最後に、原爆ドームと原爆の子の像を見学しました。原爆ドームは現存する数少ない原子爆弾の被害を物語る建物です。また、原爆の子の像には多くの千羽鶴が奉納されていました。この千羽鶴は「1000羽の折り鶴を完成させると願いが叶う」という、日本の古い言い伝えに基づいているとのことでした。平和の子の像は世界中の子どもたちより送られた千羽鶴で囲まれており、この子どもたちこそが、核兵器のない平和な世界を担うリーダーなのだと感じました。
カイル・コリンズ(アメリカ・津北)
8月26日から28日までロータリー第2630地区の青少年交換学生とロータリアンの方々と共に研修旅行を受けた。
この旅行では、本州の南部における広島、宮島、姫路城、大阪ユーニバーサルスタジオなどの歴史的な名所古跡を見に行ってきた。このレポートによって、それぞれの行ってきた名所古跡に関して、自分が何を思い、感じたかを伝えたいと思う。
一日目に広島の原爆ドームと資料館に行き、アメリカに苦しめられた戦争について色々学ぶことができ、原爆で被害を受けた日本の民間人に対し哀れみの感情を抱いた。資料館の出土品やドームの様子を見ると、「何というひどいことをしたものだ。どんな人がこんな惨いことを罪のない日本人に行ったのだろうか」と思い、戦争は意味がないものと分かるようになった。さらに、亡くなった人を惜しみなおかつ、世界的な平和の実現に賛成する用紙に自分の名前を記した。世界をより良い場所にすることが私の夢であるから、この用紙をロータリーのために提出したのである。
有名な厳島神社にも連れて行って頂いた。この神社に行ったのは2回目だったのに、初めて見た時よりも、さらに美しく見えた。宮島の景色も美しく、食事もとても美味しかったので、また行くことができて本当によかった。
2日目は初めて皆で姫路城に行った。外から見ると、姫路城は極めて大きく、眩しかった。中に入ると、何も家具などがなかったけれども、英語で姫路城の歴史について書いてあったので、姫路城のことを学ぶことが気楽にできた。あの時代に日本で起こった歴史は面白いと思うので、たくさん学ぶことができたのはありがたい。
最後にUSJで一日楽しく過ごすことができた。留学生とアトラクションにたくさん乗り、おみやげもいくつも買い、楽しみながら大切な留学の思い出を作ったのだ。海外からの子と話すのはだれでも簡単にできることではないので、留学生と仲良くできたことは大変誇りに思っている。
全体として、この夏期研修旅行では、日本文化と歴史を学ぶこと、楽しく遊ぶこと、色々な体験をすることができ、ロータリーに本当に感謝しています。連れて行ってくださったローアリアンの方々、どうもありがとうございました。この旅行で体験したことは、私の宝物であり、ロータリー青少年交換留学生として日本に来ていることを改めて光栄に思っています。私は旅したことがない日本の名所がまだ多いので、あと残っている4ヶ月の間に行けたら是非行ってみたいと思います。やはり、新しく行く場所で学ぶことによって、次にどこに行ってみたいかも分かってくるし、自分が世界のために何をやりたいかも分るようになってくる。〔全文原文のまま〕
ジェイコブ・カーリン(オーストラリア・大垣)